地球のバランス

自然と科学的の違い

 地球に存在する物質が地球の外へ勝手に出ていくことは考えにくい。地球の外から入ってくることもほとんど無い。

 ということは例え人工物とか化学物質といえど全てはこの地球上に存在するもの。どんな物質であろうと地球上のものであり自然界のもの。人工的や科学的というのは元は自然のものでそれに人が手を加えたものにすぎない。

 人が地球上の生物であり自然界に生まれたものと考えれば人の行動もまた自然なのです。

 

 よく対比されるものに毒と薬があります。この毒と薬はどう違うのか、というところから自然と科学的とどのような違いがあるのか考えたいと思います。

 

毒とは

 人体や生物に悪影響を及ぼすもの。期待した結果よりも悪くなるもの。

 

薬とは

 人体や生物に都合の良いもの。期待した結果が得られるもの。

 

 毒と薬の違いを簡単な言葉で表してみました。

 専門的な違いは専門家にお任せしてここでは誰にでも分かりやすい言葉で考えたい。

 毒と薬の違いを考えたところ、この二つに物質的な違いはない、人間の都合によって分類し呼び分けているにすぎない。

 毒を持っている代表的な生き物に皆さんご存知のヘビがいる。

 人は毒ヘビに咬まれるとヘビに咬まれた、毒にやられた、何ていまいましい奴、と憤慨する。

 反対に毒で作られた薬によって命を救われれば、もちろんありがたい、となる。

 話しはそれるが人間とはなんとも都合が良い生き物だ。ヘビにとっては毒でも薬でもない。生きていくうえで必要なものでありまたその道具。それを人の都合によって薬だ毒だなどと言っているにすぎない。

 話しを戻すと、これらのことから人工物や化学物質というのも同じように言える。

 人工物や化学物質。どちらも地球上のもの。元は自然のもので、それを人が加工したもの。

 化学物質というのは普段私たちが目にするものよりもはるかに小さく目に見えないほどのもの、というだけで地球上に存在するものには違いない。

 塩。塩はキッチンや食卓に置かれると食塩と言われる。科学者が手にすれば塩化ナトリウムと呼ばれる。

 

 これらのことから分かるように、人類も含め地球上の全ての物質は自然であり天然、薬であり毒なのです。

 つまり、自然と化学物質の違いは人間の都合によって分類し呼び分けているにすぎない。

 広い意味でいうと全ての地球上の物質はたいした違いはないのです。どちらかに偏りがあったり一方に好都合であったりするだけです。

 地球というのは上手くバランスされています。人が考えている以上に高性能であり高次元なのです。

 

考えない考え方

 人はいろいろ考える。

 ほとんどの人がそうだ。

 私も考えるほうの人間だ。が、最近考えるのをやめるよう意識しています。

 皆さんもよくあると思うのです。例えば、あるタレントの名前がなかなか出てこない。あ、い、う、え、お、か、……と50音順に言ってみてもピンとこない。のど元まで来ているのに出てこない。考えれば考えるほど遠のいて行く気さえする。しまいには疲れて思い出そうとしてたことさえも忘れてしまう。

 そのことを何も考えなくなってから数時間あるいは1日、2日経ってまったく関係のない時にポッと出てくる。

 何で今さら。どうして、あの時あれだけ考えても出てこなかったのに。なんとも歯がゆい。

 こういった、考えてもすぐに求めているものが出てこないときは、アッサリと考えるのをやめることにしました。それでどうなったか。思考からスッと身を引くことでもやもやがなくなり思考の切り替えが早くなりました。そして本当に必要なときに答えが降りてくれるのだと思うようになった。

 また、ザワザワと心が苛立ってきたと感じたら客観的に自分のいらだちを確認し、その思考から離れる。すると今まで何も起こっていないかのような感覚になり苛立ちが消えるどころか気持ちが落ち着きます。

 何かに迷ったときや考えに行き詰まった時にも一旦その思考から離れるようにします。するとあれほど考えても出てこなかったアイデアがすんなり出てくる。

 人はあまりにも多くのことを考えすぎます。その原因は社会や教育によるところが大きいと私は思う。

 考えないのは良くない、考えることは良いことだとされています。今の社会の特徴かもしれません。小さいよりも大きく、少ないよりも多く、遅いよりも速く、短いよりも長く、考えないよりも考える。

 私は何も考えないほうが良いと言いたいのではありません。仮にいっさい何も考えなければ恐らく現代社会に適応するのは難しいでしょう。要はバランスの問題なのだと思うのです。

 考えただけでも気が重くなる、頭痛がするというのは一種の警告なのかもしれません。

 何も考えない人よりも考えすぎる人のほうが圧倒的に多いこの世の中、考えない時をもう少し増やしてみてもいいかもしれません。

エネルギーと半分の燃料給油

 時折耳にする、車の燃料節約について

 給油時に燃料を満タンにせずタンク容量の半分ほどに留めるというもの。満タンにすればそれなりに重量がかさむところを半分の量にしてエンジンへの負荷を減らし、燃費を良くしようということだ。

 確かに理屈は通っている。が、それでどの程度の節約になるのだろうか。

 仮に60リットルのタンクの場合。水ならば1リットルあたり約1キログラムだが、燃料の場合はおおむね水よりも比重が軽いため1リットルあたり1キログラムはない。ガソリンの比重は水に対して0.73~0.76ほど。間をとって0.75とすると、ガソリン1リットルあたり750グラム。燃料タンクいっぱいの60リットルの場合は45キログラムになる。

 これを節約のために半分の30リットルにすると22.5キログラムとなる。

 この22.5キログラムの差でどの程度の節約になるのだろうか。車の性能、運転の仕方、路面の状況、気温、タイヤの状態などさまざまな影響があるので単純に数値化は出来ないでしょう。

 ただ、想像してみよう。搭乗者の人数やその体重差、荷物の有無、など。燃料の22.5キログラムの差を気にする値でしょうか。これは人それぞれ価値観や感じ方の違いがあるので決めつけることはできませんが。

 それよりも他に気をつけたほうが良いことがあると思う。例えば、滅多に使わない物を積みっぱなしにしてないでしょうか。余計な装飾はしていませんか。また、余計なお世話かもしれませんが体重は健康的ですか。これらのことを見直すほうが効果的ではありませんか。

 節約することばかりにとらわれて見落としていることもあるのではないでしょうか。

 また、燃料を半分しか入れないということは給油の回数が倍になる。つまりガソリンスタンドに立ち寄る回数が倍になる。この労力、時間、面倒なことへのストレスはどうでもよい、節約のこのを考えると大したことではないと本当に言えるでしょうか。

 半分の給油の効果は微々たるものだと思うのです。もちろん重いよりも軽いほうが良いのは当然ですが、目に見えるエネルギーだけにとらわれず目に見えないエネルギー、自分自身のエネルギーや時間にもっと目を向けてほしいと思うのです。

 ただでさえストレスの多い世の中です。本末転倒とならないように情報や噂に振り回されずストレスフリーなライフワークを心がけたいものです。

スバル XV 振り返る 3

アイサイト

 プリクラッシュブレーキ(一般に言う自動ブレーキ)や歩行者自転車検知機能などは緊急事態に陥ることがない限り一般の人に安全装置の良さや性能を体感することは難しい。こういった装置は保険と考えこれに頼ることがない運転を心がけたい。

 ともあれこういった装置はついているだけでも心強い。

 スバルにおいてこの装置は一部の車種を除いて全車標準装備である。こういうところにもメーカーの安全に対する意識が非常に高いと思います。

 走りと安全を犠牲にした車はあってはならないと真剣に考えているメーカーはスバルとマツダくらいではないでしょうか。

 

その他の運転支援システム

 これらは非常にありがたい。

 まず本当に助かるのが後方に対する警報装置。駐車場からバックで出ようとした際、真後ろは確認できてもそこを左右から通過する車両や人を事前に発見するのが難しい状況はよくあると思う。

 そんなときにこの装置は動く物体が自車両に近づきつつあることを警報音とLED点滅によって知らせてくれます。そのLEDはサイドミラーの付け根辺りにあり、近づいてきた物体の方向によって右側からなら右のLED、左側からなら左のLED、どっちとも言えない場合は両方という具合に、近づいてくる方向まで教えてくれます。

 しかもその感度は高くヒヤッとする前に必ず知らせてくれます。同様のことが走行中にも動作します。後方から接近する車両や死角にある車両を知らせてくれるので進路変更や高速道路への合流などで危険予知ができます。

 それから疲労やうっかりミスを軽減してくれるアダプティブクルーズコントロールシステム(ACC)や車線逸脱防止支援システム。ACCとは前走車両がいるときには安全な車間距離と速度で走行や停止を行い、前走車両がない場合には設定した速度を維持してくれます。

 車線逸脱防止支援システムは、路上の走行車線を認識している間、車線からはみ出そうになったとき、正確に言うと車線に近づいていったときにステアリング操作を補助してくれます。補助なので何が何でも車線をはみ出さないとか、運転者に代わって操作してくれるというものではありません。あくまでも操縦は運転者自身であってこの装置は補助なのでステアリング(ハンドル)から手を離すとメーターパネル画面とハンドルの支持を促す警報が出ます。

 ACCと車線逸脱防止支援システム。これらの装置は特に長距離の移動を楽にしてくれます。

 これらの安全運転支援システム、今や「あったらいいよね」ではなく「いるでしょ!」となりつつありますね。

 

まとめると、

 安全運転支援システム、走りのバランス、内外装の仕上がり、四駆性能などトータルバランスを考えると非常にコストパフォーマンス抜群の車だと思います。

 内装の質感は高く室内空間も十分広く快適。

 静粛性良く会話は楽にできる。

 加速はマイルドでしっかりと押し出してくれる。が、強烈な加速が好きな人には物足りないでしょう。

 コーナリング時の安定感は高い。

 ブレーキはよく効く。が、もう少しナチュラルであってほしい。

 悪路走破性は非常に高い。

 安全運転支援システムは高性能。渋滞時や長距離運転も快適。

 荷室も十分確保されていて使い勝手が良い。

 気になる点は、アイドリングストップからエンジン始動時の振動。これはなんとかしてほしい。

 

 男性にはもちろん、女性にもとても優しく安心して運転を楽しめる、思いやりを感じる車だと思います。

 

以上

スバル XV 振り返る 2

コーナリング

 とても安定しています。

 タイヤがキュルキュル鳴くような走り方をしないのでアンダーがどうのといった細かいことは分かりませんが、最低地上高が200mmある割に横揺れは少なくストレス無く曲がります。水平対向エンジンの低重心とシンメトリカルAWDの効果でしょうか。

 

ブレーキング

 踏み込み感は極自然で制動力も非常に良く安心感がたかい。ただ一つ気になるのはブレーキを緩める時、例えば走行中に完全停止する数メートル手前から踏み込みを緩める時にほんのわずかですが、制動力が残り気味に感じる。よって微妙ではあるが気を使うときがある。欲を言うともう少しナチュラルであってほしい。ただし妻の意見ではまったく不満はないとのことで好みの分かれるところなのでしょう。

 個人的にはレガシィB4、アウトバックのブレーキは非常に扱いやすい。

 

四駆性能

 普段険しい道を走ることがないので本格的な性能は正直申して分かりません。

 ただ、めったにない今年の大雪で試すことになってしまいました。

 私の住んでいる地域は例年であればほとんど積雪はないのでたいていの車はノーマルタイヤです。今年は20cmほど雪が積もり気温も低かったので路面はアイスバーン状態。

 私もノーマルタイヤだった。少し緊張しながら自宅周辺の坂道を登りまた下り難なく通過。普段自転車では登るのが厳しい急坂。スタッドレスタイヤ装着車以外のほどんどの車は立ち往生する中XVはスルスルと走り抜けていった。

 気を使う位ならタイヤチェーンなどの装備をすべきと反省しつつXVの四駆性能の高さに感心しました。

 

つづく

スバル XV 振り返る 1

スバル XV 2.0i-s アイサイト

 2017年製

 色 クールグレーカーキ

 購入 2017年8月

 現在までの走行距離 28000km

 

内装

 この価格帯ではかなり質が高いと思います。もちろん価格を抑えるためにところどころ樹脂パーツを使う工夫をしていますが、安っぽくならないよう上手く表面処理をしてある。おかげで全体の雰囲気はとても良く満足のいく仕上がりになっている。

 

室内空間

 荷室の広さはゆとりがあり、旅行やレジャーでも楽々。

 各座席は十分な広さが確保されておりとても快適。大人の男性4人が乗っても窮屈に感じることはない。高さもそこそこあり圧迫感は感じない。

静粛性

 スタートボタンを押しエンジンスタート。心地良いエンジン音。決してうるさいわけではなく、むしろ静か。

 ロードノイズは少なく会話や音楽もボリュームを上げることなく楽しめる。

 

エンジンフィール

 加速はマイルドではあるが高速での合流や追い越しでももっさり感は無く力強くおしだしてくれる。パンチのある加速ではないがいつでもしっかり出てくれる。スポーツモードに切り替えればよりキビキビした走りでワインディングを楽しむことができる。ただしターボ車や大排気量車のような鋭い加速が好きな人は物足りなく感じるでしょう。

 私にとってはちょうどいい。もちろんスポーティーな加速も楽しく好きなのですが、同乗者が居る場合には多少ラフなアクセルワークになってもソフトに反応してくれて気を使わずに運転出来て楽な方が良い。

 

 

竹との戦い

 この家に越してきて1年半になります。

 不動産仲介業者の営業の方と初めてこの家に訪れたとき、家の裏の敷地に竹林がありました。

 その竹林はこの家の敷地にあと一歩のところまで近づいていました。

 翌週訪れて驚きました。先週は何もなかったところに高さ2メートルを超える竹が数本そびえ立っていました。竹の生態に詳しくない私にとってその光景は信じ難いものでした。しかも距離にして約3メートル境界線を越えて侵入しているのです。たったの1週間で。中には風に揺られて壁にコツコツと当たっているものや、基礎と壁の隙間からねじ入ろうと食い込んでいるものもいます。これはまずい。

 頭の中で計算しました。いや、計算しなくてもパッと見で分かります。2,3年でこの家は竹に囲まれてしまう。

 この土地は見晴らしが良いし、築10年の割に建物の傷みは少なく立地条件も良かったので購入することに決めました。住み始めたのが6月、以前訪れてから1ヶ月半が経過しました。竹は結構増えているだろうと大体予想していましたが竹の成長はそんな予想を遥かに超えるものでした。なんとかせねばと考えていましたが、あまりいい案が無かったのでとりあえず生えてきた竹から順次ぶった切っていきました。それから2週間ほど過ぎた頃、もともと土地の境界線上に外壁やフェンスなどなく地続きだったのでどこまでが自分の土地なのか明確に知りたいと思い登記簿の図面を眺めていました。すると、以前不動産仲介業の営業の方から受けた説明では通りに面する表側の境界は電柱まで、裏は擁壁までと聞いていましたが、図面での距離感と実際見た距離感とがあまりにも合わない。図面上一番距離の長い辺は約30メートルある。50メートルの巻取りメジャーを購入し実際に図ってみることにした。

 図面の計測点と地面に埋め込まれた印を照らし合わせながらメジャーを伸ばす。まずは表の通り側。始点から次の点へ来たとき。ん?全然違う。図面では営業マンの言っていた地点から更に6メートル先にもう一つの測点があることになっている。更にメジャーを伸ばす。6メートル地点まで来たとき、あった。道路に打ち込まれた印。次にそこから裏手に向かってメジャーを図面通りに伸ばしてみる。あった。印が。そして、辺りを見渡してみるとそこは竹林を抜け出たところ。唖然とした。更に図面にある測点を全て測ってみた。なんと隣地と思っていた。竹林が自分の土地だったのです。無数に立ち並ぶ竹。何本あるのか数えるのは気が遠くなるほど。

 ある日、竹林の向こう側の隣人に尋ねたところ、5年前竹はまだ20メートル先にあったそうです。20メートル先ということは私の土地ではなくもう一方の隣地。つまり5年前まではこの土地にはまだ竹は無く隣からそれらが押し寄せてきたということになります。

 7月、8月と気温が上昇するのに合わせるように竹もぐんぐん成長し数を増やす一方です。切っても切ってもあちこちで生えては伸び、全然追いつかない。

 このままではダメだと思い調べました。薬や灯油を竹に直接注入する方法が見つかりましたが、一本一本ドリルで穴を開けて注入するとなると途方もない数です。とても現実的とは思えない。更に調べるうちに良さそうな方法が見つかりました。1メートル切りという方法です。この方法を実践している方の説明によると竹を含め多くの植物は冬になると成長を止め休眠状態になるそうです。その時をめがけて地面から約1メートルほどのところで竹を切るのです。そして、年が明け春になり気温の上昇とともに竹が目覚め成長を始めようとします。すると休眠中に切られた竹は切られたことに気づかず地下茎から水分をどんどん地上の竹へ送り切り口から溢れ出ます。そのまま地下茎の水分がなくなり枯れてしまうのだそうです。この方法だと竹は数珠つなぎになっているのでその系列の竹はみな枯れます。

 数ヶ月が過ぎ12月。気温も下がり竹は成長を止めているようです。

 その時がきた。

 竹との戦いの始まりです。

 連休を利用し一気に伐り倒す事にしました。竹の数を考えると電動工具を使おうかと思いましたが、野放しにされた竹は細いものから太いものまで密集して生えており工具の取り回しが大変で危険です。時間と労力は要しますが、安全第一と思いのこぎりで挑むことにしました。

 連休当日天気は晴天。絶好の竹斬り日和。早朝からどんどん切りました。伐り倒し枝を落とし広い場所へ運び出し、何度も何度もその繰り返し。疲労もピークになったころ日も暮れ始めて来ました。

 全て伐り倒してしまおうと考えていましたが思いの外、枝を落とすのが大変で手こずり見渡してみると全体の5分の1程度しか進んでおらず気落ちしそうになりました。しかしこれしきのことでへこたれるようでは竹に負けてしまうと思い気を取り直し次の段取りを考えるとにしました。

 ふたたび翌朝戦場へ向かいます。武器はのこぎり一本と気合いのみ。時に枯れ枝に鞭打たれ頬から血を流し、足元をすくわれ転倒。それでも歯を食いしばりまた1日が終わりました。

 次の日も、また次の日もひたすら伐り倒します。

 途中から妻の応戦があり勢いづきます。そして最終日、娘夫婦も助太刀してくれ、お蔭で全ての竹を切ることができました。

 

 あれから1年が経とうとしています。今年は数本の細い竹が生えて来ましたが、以前のような勢いは感じられません。

 この竹との戦、まだ油断はできませんがあと一歩で私の勝利だと確信しております。